大切なものは薮の中

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文字数:6,633字 | 読了目安: 約9分 | 公開日:2019.08.03 | 更新日:2024.02.10

薮から棒ですが、薮ってどんなイメージでしょうか? 一般的には、草むら・茂み、何だかわけわからない、不要な場所と言った感じですかね。しかし、野鳥が繁殖用の営巣場所として利用したり、外敵から身を隠したり、生きものにとっては重要な場所の一つです。薮みたいなところを好む生きものは結構いて、生態系の一部でもあります。

マンションやオフィスビルの高層化が進み、再開発で小ぎれいな緑地が増える一方で、何でもない草地や薮みたいなところはどんどん減っています。工業化、効率化が進み、人間社会からも無駄なもの、役に立たないもの、少しでもリスクのあるものは排除されるばかりです。

無駄なものは必要ない?

でも、そういう世界って何かつまらないような、息苦しいような、寂しいような気もしてきます。平安時代の歌謡集で「遊びをせんとや生まれけむ」と唱われたように、遊び、余裕、無駄、無意味なこと、危険やリスクを許容できなくなった社会や組織は、何か大切なものを失っていくようです。

今回は、管理主義と自由・遊びのバランスについて考えてみましょう。

もっと遊びを

何もかもが管理されるようになって、多くの日本企業や組織から遊びや無駄がなくなっています。「管理・計画」と「自由・カオス」のバランスは、働き方・仕事の仕方としても普遍的な命題です。理路整然とした世界は美しく感じますが、完璧さは静止であり、何らかの終わり、象徴的な意味での死とも言えます。昔の日本建築では、あえて不完全にしておく部分を残したりしていましたね。

一方で、無法地帯、自由気まま、乱雑なカオスは動的な生命力にあふれます。しかし、何らかの統合がなければただの無秩序でしかありません。行きすぎた自由もリソース・資源を使い果たして終わりを迎えることになります。

企業も高度経済成長期はやるべきことが単純で明らかに見えていたので、軍隊的な規範やテイラリズム的な管理主義が有効な時代が長く続きました。一方でそうした反動から、自由放任主義や友だち関係のような親子、ゆとり教育に象徴されるような規範のゆるさが広がり、その弊害も散見されるようになりました。

※テイラリズム :20世紀初頭、フレデリック・テイラーにより提唱され、製造業に導入された科学的管理手法。フォード自動車に象徴される大量生産の台頭に伴い、広く採用されている。現代で言えば、テイラリズムの究極とも言えるのが効率と合理性を極めたトヨタ自動車の工場やアマゾンの倉庫でしょう。労働から人間性を奪うシステムとして批判されることも。

管理・規律一辺倒でも、自由奔放すぎでもいけない。このバランスをとる感覚が重要です。

伽藍とバザール

伽藍とバザールの比喩も思い出されます。聖なるものや崇高なものを整然と祀るだけの教会、荘厳な装飾に彩られた絢爛豪華な伽藍にはいずれ誰も来なくなる一方で、人と物が行き交う市場・バザールは活気にあふれます。

伽藍(Cathedral)方式では理想や目標が優先され、組織は選ばれたエリートをトップとするヒエラルキーに従ったトップダウン型です。一方のバザール方式は、日常のニーズが優先され、組織は上下のないフラット構造です。本来は、どちらの方式にも一長一短があり、方式そのものに優劣はないはずです。

しかし、複雑で多様化した現代社会では、伽藍方式の失敗が目立ってきます。別記事で取り上げているウォーターフォールとアジャイルの考え方とも共通しますが、伽藍方式・ウォーターフォール型より、バザール方式・アジャイル型を有効に活用すべき時代になったと言うことができます。

現代の伽藍は、本社ビルや社長室でしょうか。権威の象徴のような高層ビル上層の本社で形式的な会議が厳粛に執り行われるようになれば、「がらんどう」の完成 = 生命力の終わりです。

伽藍とバザールは、エリック・レイモンドがコンピュータプログラミングの開発手法について書いた論文です。いまや、IT 業界になくてはならない存在となったオープンソース手法を広める上で、大きな役割を果たしました。従来、コンピュータプログラミングの元となるソースコードは最高の企業秘密であり、ビジネス資産と考えられてきました。そのソースコードを公開してしまうなんて、従来のソフトウェア企業には考えられなかったことです。

実際、公開されたソースコードをベースに、顔を見たこともないようなプログラマが集まって役割分担を決めて共同でOSを作るなんて、カオスすぎて気が遠くなる話です。特に自発的にプログラムを書くプログラマは、ものごとの考え方にもこだわりが強く、言うなればキャラの濃い人が多い世界です。そういう連中が集まって Linux を成功させたわけですから、ライナス・トーパルズの率いた Linux プロジェクトには学ぶべきことがたくさんあるはずです。

大きな志を日常の課題設定に落とし込む

Linux プロジェクトには2つのことを学ぶことが出来ます。1つはビジョンや志であり、もう少しブレイクダウンした課題設定力です。自分たちが使えるOSを作ろう、営利優先の企業から技術を守ろうという共感出来る具体的なビジョンがあり、意志決定のプロセスや方針、ソースコードがオープンになっていること、到達している成果が可視化され、次にやるべきことや貢献出来ることがイメージ出来るように課題設定されていることです。

そして、その課題が日常の仕事や生活を改善することにつながる実感のようなものを持てるかどうかです。全体のビジョンと個別の課題がつながると、伽藍方式とバザール方式のそれぞれの良い点が引き出されてきます。

身近な例で言えば、Q&Aサイトや価格コムなどが挙げられます。こうしたサイトでは、質問する人がいて、答える人がいます。どうしてこの人は報酬をもらっているわけでもないのに、ここまで親切に教えてあげるのだろうかと思う人がいたりします。

人助けが楽しい純粋な人もいれば、自己承認欲求や探求心から行動している人もいます。いずれにしろ人間はそこに問いがあれば答えたくなるものです。課題があれば解決したくなるものです。金銭・感謝されること・自己満足、人によりそれぞれの報酬を求めているわけですが、Q&Aや商品情報を共有するという「場」を設定することにより、参加者の自発性が引き出されているわけです。

現代の働き方に即した課題設定

複雑で多様な現代社会では、適切な場を設定すること、課題設定がいかに重要か、あらためて考える必要があります。単に売上をあげろ、利益を出せ、という課題設定では、現代の働く人々のモチベーションをあげることはできません。

しかし、現代にマッチしなくなった古い課題が社会のあちこちに残っています。ぼくが社会人になりたての頃は、営業は外回りで飛び込みをやらされて、一日に名刺30枚集めて来いといった課題が設定されていました。

ちなみに初めて就職した会社は当時で言うOA機器の販売会社だったので、新橋や上野で飛び込み営業を随分とやらされました。当時、新人研修の時期は飛び込み営業マンが事務所の前に行列しているような様相で、飛び込まれる方の会社はさぞ迷惑だったと思います。わたしは新人研修が終わって会社に出すレポートで、こういう研修や営業の方法は社会に迷惑をかけているからやめるべきだ、みたいなことを書いて上司のひんしゅくを買いました。

さすがに30年近くが経ち、当時のような根性主義や露骨な売上至上主義は減ってきたかもしれませんが、「世のため人のため環境のために貢献します」みたいな抽象的な社是だけあって、足元では社員に売上予算やコストカットのプレッシャーばかりかけているような会社もまだまだ多いのではないでしょうか。

そして、賢い人は会社を去りますが、真面目な人、立場の弱い人は会社に残ります。そして、搾取され続ける。いわゆるブラック企業の出来上がりですね。ブラック企業は論外としても、古い価値観で労働強化しているところもまだまだ多いように思います。

目標は指標とする

社員が本気でやりたいと思えるようなやりがいのある課題を持続可能な形で設定することが重要です。KPI (Key Performance Indicator)のような項目を設定してウォッチしておく必要を否定しませんが、あくまでも施策や体制の検証として参考にすべきものであり、「目標や予算を必達すべし!」のような使い方は本末転倒です。目標はあくまでも経営側の指標であり、社員・従業員を糾弾するものにしてはいけません。

経営側の立てた目標が達成されなかったとしたら、経営戦略や運用がまずかったと考えるべきで、労使双方に責任があると考えるべきです。

そして、用語の定義を経営側と従業員側が共有した上で、そもそもの課題設定を適切に行い、体制を整備し、フィードバックを適切に行うことが実は業績を向上させる近道になるはずです。

人はパンのみで生きるにあらず

課題設定の適正化と合わせて考えたいもう1つのポイントがリスペクト、相互信頼です。これは、従来の日本企業が持っていたような

  • 会社で運動会やる
  • 社員旅行に行く
  • 飲み会

などで培われたような信頼や親近感とは違います。

同調圧力やら家父長制的地位の制約を伴う家族的なつながり方によって、昭和の会社文化は構成されていました。しかし、こうした価値観は現代の多様化した、変化の激しい社会には馴染まなくなりました。

現代の会社に必要なのは、少し緊張感を伴いながらの相互信頼です。例えば考えてみたいのが、サーカスなどで虎やライオンに芸をさせる猛獣使いです(動物に芸をさせることが現代的な価値観から見て良いかどうかは別にして)。

一般的には、単に飴とムチの使い分けのような考え方でとらえてしまいそうです。しかし、生きものとして尊重し、相手に対する信頼関係がなくては猛獣使いも成立しません。

非言語のコミュニケーション

基本的に脊椎動物は人間と情動を共有出来ているようです。こちらの気持ちが伝わります。植物でさえ、上手に育てる人と枯らしてしまう人がいることを考えると、生きものの間では何かが伝わっていると考えるべきでしょう。植物に話しかける人は世話好きなこともありますが、相手を生きものとしてリスペクトする気持ちや愛する心が伝わっているから生きものが良く育つのではないでしょうか。

猛獣や植物相手には言語でコミュニケーションすることは出来ません。でも、何か交流をしているのです。この感覚を忘れてはいけません。人間だって生きものなのです。言葉が大事とは言いますが言外はさらに重要です。本心が伝わるのです。

上司が自らの責任回避、保身ばかり考えて言っているのか、部下の成長を願って言っているのか、経営者が本当に世の中に貢献しようとして言っているのか、私服を肥やすために言っているのか、意外なほど伝わっているものです。

大切なものはヤブの中

多様で豊かな関係性が育むもの

下草をキレイに刈りすぎると生態系が単純化して、豊かさが失われていきます。人間関係も同じです。あまり無関心でもいけませんし、型にはめすぎるのもいけません。日本社会は、箸の上げ下げまで監視するようなマイクロマネジメントが横行しやすい傾向があります。

行政も同じですが、官僚的な人・管理偏重主義者は何事も一対一に対応する正しさに拘束されていて、ビジネスやクリエイティビティの活力がどこから生まれるのか全くわかっていません。地方創生、中心市街地活性化、小規模事業者持続化補助金、ものづくり補助金などなど、目的とする結果に名前と予算をつけて、自分たちの考える方法(たいてい過去の事例の援用や机上の空論)に細かく当てはめようとしすぎています。

活力つまり商売繁盛には自由とカオスが必要なのです。画期的な技術革新を生み出す研究開発、製品開発も同様です。大学も短期的な成果や実用的な研究を求められるようになるにつれ、弱体化します。街づくりにおいても、タワマンとどこにでもあるようなテナントが入ったショッピングモールばかり、同質的な住民ばかりのコミュニティでは創造力が育まれないでしょう。

母なる地球は壮大な包容力で、すべての生命を育んでいます。誰の言葉だったか忘れてしまいましたが、組織の上に立つ人にとって一番重要な素養は包容力だという意見を聞いて、思わず納得したことがあります。

あなたの会社や地域に「薮」はありますか? 無駄なこと無意味に見えるようなことも、ちょっと包容力を大きく持って、何かの役に立っているのかも、そんな視点をもってみてはいかがでしょうか。

参考書籍

【ヤブさん】薮内正幸さんは、ぼくが敬愛するクリエイターの一人で、生涯、生きものを描き続けた動物画家です。ヤブさんと呼ばれて親しまれていました。本書は2000年になくなられたヤブさんに、生前に交流のあった方々が手紙を書くという企画です。別記事でも取り上げていますが、ヤブさんの生涯には現代人が忘れてしまった大切なこと、学ぶべきことがたくさんあります。

薮内正幸美術館ミュージアムショップ「ヤブさん」
https://yabuuchi-art.jp/store/item/?pCode=B001

薮内さんは、東京都動物園協会発行の「どうぶつと動物園」に1959年9月号から2000年6月号まで40年以上にわたって挿絵を描かれていました。その原稿を編集部に送る際、封筒の裏にその月の動物をテーマにだじゃれを交えたイラストを添えられていて、編集部のみなさんに裏ヤブ作品として親しまれていたそうです。やぶさんは本編のイラストを描き終えた後、担当編集者を楽しませようと裏ヤブ作品のだじゃれを考えるのに数時間、アタマをひねっていたこともあるとか。そんなお人柄が伝わるのでしょうね。薮内さんの描く動物はリアルでありながら、どこか愛嬌があり、見る人を笑顔にしてくれます。

田舎に暮していると、すぐに生えてきて薮を構成する笹は、雑草と同様にどちらかと言えばやっかいものとばかり思っていました。しかし、笹離宮(蓼科笹類植物園@長野県茅野市)を訪れると、まったく違う視点を提供してくれます。先日、小雨の中、笹離宮を訪れてきました。6000坪の敷地に120種の笹が植えられた日本庭園で、予約すれば笹を眺めながら茶室でお茶もいただけます。笹をテーマにこれだけの庭園を造ってしまうとは驚きました。雨に濡れた笹、竹林は意外に美しいものでした。

プログラマでない人には馴染みのないITの専門用語も出てきますし、独特の文体で書かれているので読みにくいかもしれませんが、量は少ないので雰囲気は感じとれるのではないでしょうか。日本のITベンダーの多重下請け構造に多く存在する、いわゆるSEと呼ばれるような職業プログラマではなく、今後ますます重要になってくる自律的なプログラマの考え方や文化の例として知っておくと、今後、プログラマと一緒に仕事するときの参考になるはずです。

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