安易なデジタル迎合もよろしくありませんが、非効率なアナログ文化も考えものです。無節操なデジタル迎合主義は軌道修正していくとともに、アナログ文化を適切にデジタル化していくことも必要です。
ここで鍵を握るのが、デジタル技術と人間の接点となるUI(ユーザーインターフェース)です。デジタル空間のプラットフォームはUIによって規定されていて、ユーザーの知性であるUI(ユーザーインテリジェンス)とも密接なつながりを持っています。
今回は、アナログで残すべき文化とデジタル化すべき「モノとコト」、アナログとデジタルのバランスについて、UI(ユーザーインターフェース)とUI(ユーザーインテリジェンス)の視点から考えてみましょう。
DXそもそも論
近年、DX =デジタル・トランスフォーメーションという言葉が一人歩きしていて、うんざりされている方も多いかもしれません。メデイアがあおりすぎな面はありますが、デジタル技術によって社会が大きく変容しようとしていることは確かです。
AIによって仕事が再定義され、従来は想像も出来なかったようなビジネスが生み出されています。しかし、経営や実務で忙しい世代にとっては、急激に進化するデジタル技術の動向を把握することは簡単なことではありません。
「デジタルは苦手で・・・」、「どこから手をつければ良いのかわからない」、「やることが多すぎて手がまわらない」、「システムを導入したけど、難しすぎて使わなくなってしまった・・・」。
こういった言葉を聞く機会も少なくありません。しかし、デジタル技術の影響はますます大きくなっており、ITベンダーや出入りの業者、あるいは社内の若者に丸投げしてしまうことのリスクも高まっています。
経営者や実務担当者こそ、デジタル活用のリーダーシップをとっていくことが求められています。今後の日本社会にとって、従来どちらかと言えばデジタルを苦手としていた、あるいは否定的なイメージを持っていた人こそ、デジタル化を主導する責任があるはずです。
なぜなら、アナログ的な技術、価値観、感性には、人間が失ってはならない重要なものがあるからです。金融資本主義に洗脳され、効率性や数値化出来る指標ばかりを優先する思想に、デジタル技術を悪用されることの弊害は計り知れないものがあります。
わたしは、人間性や精神性、芸術や伝統文化、地域性や個性、感性や暗黙知が軽視されている現状をとても懸念しています。
そしてこの懸念は、2004年にエリック・ストルターマン教授(スウェーデン ウメオ大学)がDigital Transformationを提起した論文の趣旨にも共通するものです。
オリジナルの定義
ストルターマン教授は、論文において
- good life = 良い生活
- aesthetic experience = 美的に優れた体験
といった言葉を用いて、デジタル技術によってもたらされる結果を考察することを提案されています。
IT(Information Technology)を無批判に導入するのではなく、より良い生活・より良い社会を構成するように変容していくことを提起されたわけです。
そして、わたしもこの趣旨において、デジタル・トランスフォーメーションに賛同しています。
しかし、現在の “DX” は単なる商売の道具とされており、デジタル社会を構成するSNS プラットフォームも広告とマネー主義に汚染されています。
そもそも、デジタル化とSNSプラットホームはどのようにあるべきなのか考えてみましょう。
プラットフォームのあり方
個人的な話になりますが、2025年10月に経済産業省/IPA(独立行政法人情報処理推進機構)の資格制度である「情報セキュリティマネジメント(SG)」試験を受けて合格しました。
その後、試験のことも忘れかけていた12月になってIPAから簡易書留が届いたので、「何だろ?」と思って開封したところ、送られてきたのは何とも昭和チックな趣きの合格証書でした。とても、21世紀のIT関連資格とは思えないアナログっぷりです。
一方でAWSクラウドの資格制度では、Credly というオンラインサービスで資格が証明される仕組みが採用されています。

ビジネスSNSのあるべき姿は
2010年頃、某通信会社の研究所に同じような仕組みを提案したことがありました。 信頼性の高い運営機関がセキュアな回線を通じて、国家資格や民間資格、TOEICのスコアや研修の受講履歴など、多様な証明を行う仕組みを提供すれば、国産ビジネスSNSとして価値あるプラットフォームになるのではないか、という企画です。
現在、ビジネスSNSには外資系のLinkedInがあり、本人確認サービスのPersonaや資格認証サービスのCredlyと連動する仕組みがあります。しかし、わたしがイメージしていたようなビジネスプラットフォームは未だに存在しません。

ビジネスの基盤となるデジタル空間を創出するという理念で設計するプラットフォームと、トラフィックを増やして広告費や課金で儲けようとするプラットフォームは似て非なるものです。LinkedInの場合も、有料プランに加入させるための機能制限が至るところに仕掛けられていて、通知も有料プランに誘導するものが多すぎて、辟易とします。
そして、コンシューマーのプラットフォームもGAFAM、X(旧Twitter)、LINEといった商業主義の強いプレイヤーに独占されてしまいました。
そこでは、人間性や本質的な価値は軽視され、プラットフォーマーの都合と利益、広告主のビジネスが優先されています。トラフィックと滞在時間を強引にでも増やして利益を得ようとする姿勢は露骨なもので、そこには文化を醸成する品性も社会的な責任感もあったものではありません。
ネットの情報空間は、扇動的な投稿、炎上商法、執拗な広告が蔓延る不純(?)な場と化してしまいました。
米国の著名な投資家ピーター・ティールが
「空飛ぶ車を望んでいたのに、手にしていたのは140文字(Twitter)だった」
と嘆いたように、膨大な資金と人材が投資されていながら、ネットの情報プラットフォームは軽薄なマーケティングが増殖する場となってしまいました。
刺激の強い情報とノイズで混沌とするデジタル空間で、人間の時間と人間性が奪われ続けています。
ユーザーインターフェースと知性
デジタル空間のプラットフォームは、ユーザーインターフェースによって規定されていて、ユーザーの知性とも密接なつながりを持っています。主要なSNSとユーザー知性の関係を俯瞰してみれば、以下のような惨憺たる状況です。
X(旧Twitter)は、無責任な言動を繰り返す匿名アカウントを放置し、文脈を考慮しない切り取り型の不毛なコミュニケーションを助長しています。非生産的な批判・中傷も起こりやすく、言論空間として劣悪です。特に捨てアカで実名アカウントを攻撃するような行為は、本来、厳重に規制するべきものです。
LINEによってチャット型の短文コミュニケーションとスタンプが蔓延して、人間から文脈を理解する力も文章による表現力も失われつつあります。
Tiktokに代表されるショート動画にいたっては、安易なドーパミン依存状態を引き起こし、前頭前野の統合的な意思を司る脳機能が低下することも明らかになっています。
いずれも、デジタル技術が人間の知性を破壊する方向で暴走しており、悪しき仕様とUI(ユーザーインターフェイス)によって、人間の知性がじわじわと劣化しています。
デジタル技術を活用する上で、人間性への深い思慮と哲学がとても重要なのですが、人間的にまともな人ほどデジタル嫌いな傾向もあって、まともな文化ほどデジタル化が遅れていきます。
結果として、人間性に問題のあるチャラいやつ、金儲けしか考えてないやつにデジタル文化を扇動されてしまい、ますますユーザーの知性が劣化する悪循環が起きています。
劣化するGAFAMのUI
Instagramは、Facebook(現Meta)に買収されて以降、UIも仕様も混沌とする一方です。根本的な哲学がなく、SnapChatが流行っているのを見てストーリーだ、 Tiktokが人気ならリール動画だと、競合を潰すための機能追加で継ぎはぎばかりしているので、年々、分かりにくくなっています。
分類も階層性も無茶苦茶なUI、複雑なアカウント構成、氾濫する広告、無意味な通知など、Metaの設計思想は混沌としています。適切な抽象化と構造の最適化がされていないため、必要以上に複雑化しています。また、本来のユーザー体験の価値より、広告を出稿させよう、広告を見させようとするプラットフォーム側の都合も優先しすぎています。
ただ、SnapChatやTiktokの機能をパクることで競合サービスの勢いを潰し、倫理的に問題のある広告も放置するなど、金儲け優先で突っ走ることで、ビジネス的には成功していることも事実です。
MetaとInstagramの例に限らず、デジタルビジネスの世界は、ウィナーテイクスオール(=勝者一人勝ち)になる傾向があるため、ルールを無視した苛烈な競争や買収合戦も起こりやすくなります。
競合を潰すためには手段を選ばず、機能をパクり、競合サービスは買収して、ユーザーを囲い込み、著作権やプライバシーへの配慮もどこへやら、良心も品性もすっ飛ばして利益総取りを目指すバトルロワイヤルの世界です。
そして、一度、シェアを独占してしまえば利益収奪にまっしぐら!
ユーザーの弱みにつけ込んで値上げするは、ユーザーのニーズとは関係のない機能をゴテゴテ詰め込むは、バージョンアップと称して値上げをして、仕様変更やユーザーインターフェース変更による学習コストの負担もユーザーにかけ続けています。
これが近年の外資系企業と新興企業の基本的な精神構造で、昔ながらのお行儀の良い日本企業はすっかり駆逐されてしまいました。
忘れ去られたノブレス・オブリージュ
ここで腹立たしいのは、競合を駆逐した後の企業の姿勢です。オラクル、マイクロソフト、アップル、アドビなど、外資系企業の多くは市場を独占した後、莫大な利益を挙げておきながら、さらに値上げするような横暴を平然と仕掛けてきます。
最近では、史上最高益を出していながら度重なる値上げを続けていたアドビが、ユーザーからの批判対象になっており、「アドビ税がまた値上げかよ」と揶揄されています。“ごっそり” 儲けていながら、その利益をユーザーや社会に還元するのではなく、さらに儲けようとする精神構造には、ほとほと呆れてしまいます。
そして、金融資本は次に儲ける場所はどこか、次の狩り場に向かっていき、ユーザーがどうなろうが、社会がどうなろうが知ったこっちゃない、というのが、無国籍金融資本勢力と無国籍グローバル企業の基本的な精神構造です。
社会的責任やノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)はどこへ行ってしまったのでしょうか。
合法的な強欲
「ダブル・アイリッシュ・ウィズ・ア・ダッチ・サンドイッチ(Double Irish with a Dutch Sandwich)」という言葉はご存知でしょうか。
30年以上前のことですが、日本法人もある米国某IT大手の仕事をした際、送金元がアイルランドからになっているので、「なんで?」と思って調べたところ、ダブル・アイリッシュというスキームの存在を知ることになりました。
無国籍大企業が長年利用してきた極めて巧妙な租税回避スキームで、「アイルランドとオランダの法人を組み合わせ、法人税を限りなくゼロに近づける仕組み」です。
ダブル・アイリッシュは2020年になってようやく規制されましたが、無国籍企業と無国籍金融資本の強欲、「イマだけ、カネだけ、自分だけ」にドライブされている精神構造はなかなか改善されません。
厳しい競争環境にある企業や金儲けに邁進する金融資本はすぐに良心を忘れてしまうため、SDGs、CSR、ESG、DEIなど、多様なルールが提起されてきました。
| 用語 | 正式名称・読み・意味 | 視点 | 目的・役割 |
|---|---|---|---|
| SDGs |
Sustainable Development Goals (エスディージーズ) 意味:持続可能な開発目標 | 国連・全人類 |
「ゴール(目標)」 2030年までに世界が達成すべき17の目標。 |
| CSR |
Corporate Social Responsibility (シーエスアール) 意味:企業の社会的責任 | 企業自身 |
「責任・貢献」 市民としての義務。利益を社会に還元する活動。 |
| ESG |
Environmental, Social, and Governance (イーエスジー) 意味:環境、社会、ガバナンス | 投資家・市場 | 「評価基準」 長期的に成長できる「良い会社」かを判断する基準。 |
| DEI |
Diversity, Equity & Inclusion (ディーイーアイ) 意味:多様性・公平性・包括性 | 従業員・組織 |
「組織のあり方」 多様な人が公平に活躍し、価値を生み出す状態。 |
EUは、GDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則)やDSA(Digital Services Act:デジタルサービス法 )で、個人情報保護や独占禁止的な観点からビックテックに規制をかけています。
こうした規制もビックテックにやりたい放題をさせないためには必要ですが、文化を醸成する視点ではあまりうまくいっているようにも見えません。
規則や規制を形式的に守っているように見えても抜け道が悪用されていたり、些細な成果を過大にアピールしてコストのかかる本質的な取り組みは無視されています。こうした企業姿勢は、グリーンウォッシュなどと呼ばれて批判の対象にもなっています。
言葉だけは立派なものを掲げていても、キーワードを隠れ蓑あるいは免罪符とするだけで、実態はロビイングで自分に有利なルールを作り、競争優位性を構築していかに儲けるかのゲームになってしまっているのです。
規制側の官僚に新たな利権が生まれているだけだったり、競合企業をつぶすためのロビー活動に悪用されていることも少なくありません。自勢力に有利になるように競合企業を叩いて利権を誘導するための道具にもなってしまっています。
強欲合戦:策士策におぼれる
少し話が逸れますが自動車産業におけるEUの動きを考えてみましょう。EUは中国を抱き込み、日本車を潰そうとガソリン車撤廃を仕掛けて自滅しました。EUの政策決定者(エリート層)は、「策士策におぼれる(策を弄しすぎて、かえって失敗する)」と表現するしかない、強欲さと不誠実さの象徴でした。
EVではまさに「軒先(市場と技術)を貸して母屋(産業そのもの)を取られる」状態で、ドイツの自動車産業は中国市場を取りに行ったつもりが、中国市場はもとより、自国の市場さえも中国勢に奪われつつあります。
日本企業もSDGsやら脱炭素の仕掛けにクソ真面目に従っているうちに、ルールをガン無視した中国企業が成長するという構図がここ数十年の実態です。まさにルールを無視し、ルールを悪用する勢力が得をするバトルロワイヤルの世界です。
現在は、AI分野で苛烈な覇権争いが進行中です。凄まじい額の投資マネーが飛び交っており、競合同士のデスマッチの様相を呈しています。脱炭素も気候変動もどこへやら、莫大な言語モデルを処理するAIの凄まじい電力消費を支えるため、毎週のようにGW(ギガワット)クラスの発電設備を増設して、データセンターを拡張するような力技の闘いになっています。
おそらく裏側では、著作権の侵害、機能や仕様のパクリあい、人材の引き抜き合戦など、相当なモラルハザードも起きていることでしょう。
ノブレス・オブリージュとは
ノブレス・オブリージュとは、法律による強制ではなく、「高貴な地位にある者こそが果たすべき義務」という自発的な道徳です。それは誰かに強いられるものではなく、「この立場にいる自分だからこそ」という誇りに基づく行動と言えます。
この観点において、Appleは高い倫理観とユーザー中心主義を貫き、ノブレス・オブリージュを体現する数少ない企業です。この姿勢がユーザーの安心と信頼を生み、結果として長期的に質の高いビジネスを継続できています。
一方で、高い倫理観を持つことは、短期的には足枷となる場合もあります。実際、個人のプライバシー保護を徹底するAppleは、AI開発のスピードにおいてOpenAIやGoogleに後れを取りました。これは、良心的で慎重すぎる日本企業にも通じるジレンマです。
しかし、日本の老舗企業が受け継いできた「お互いさま」や「三方良し」の精神に照らせば、一部の新興企業や外資に見られる利益優先の身勝手な振る舞いは、明らかに倫理を欠いたものと言わざるを得ません。短期的な競争に負けたとしても、守るべき品格があるのです。
UIとUI
話をUI(User Interface)とUI(User Intelligence)に戻しましょう。デジタル空間はユーザーインターフェースによって規定されていて、ユーザーの知性に多大な影響を及ぼしています。
ここまで倫理性の問題を論じてきたのは、デジタル空間が本来あるべき仕様と機能に落ち着き、人間性を喪失することのない健全な場にするためには、マネー主義の影響を排除することが不可欠だからです。
彼らも株主からの圧力にさらされ、競合企業との苛烈な競走を勝ち抜くためには、綺麗ごとや悠長なことを言っていられなくなっています。常に新しいことを創造し続けなければならないプレッシャーにもさらされ、変えなくても良いことまで、変えてしまいます。
Appleでさえ、このプレッシャーと無縁ではありません。最近で言えば、iOS26 のLiquid Glass(ガラスデザイン)は残念なものとなってしまいました。要素が重なった時に境界がわかりにくくなるし、文字の可読性も悪くなり、何の意味もありません。無駄に動作も重くなるし、表面的な見た目を優先した軽薄でレベルの低いUIと言わざるを得ません。
こんな初歩的な失敗をこの期に及んで、あのAppleが犯すとは思っても見ませんでした。ウインドウ透明化の弊害は、マイクロソフトがWindows Vistaで20年も前に失敗しているというのに、同じ過ちを繰り返すとは・・・。
人間中心のUIへ
デジタル空間の健全性を改善するには、以下の3つの障壁を克服していかなければなりません。
1)マネー主義
2)権威主義
3)革新主義
どれも難しい課題ですが、誰かか指摘して声を挙げていかないと、いつまでも改善されないので、微力ながら発信し続けていきたいと思います。
1)マネー主義の排除
真っ当なソフトを作り、適正な価格でユーザーに使い続けてもらうという事業戦略が描ける世界にしていく必要があります。そのためには、わたしたちユーザーの一人一人が、マネー主義の経営企業を拒否していくしかありません。
シェアを独占してアグラをかいている、金儲けに走っている企業はすぐにわかるものです。こうした企業の製品は出来るだけ使わないことが、わたしたち一人一人に出来る対抗策です。
そして、「奢れるものは久しからず」で、必ず代替するものが現れてきます。そうしたものを出来るだけ、採用して支援していくのです。
Windowsに対抗するものとしてLinuxがあります。MS Officeの代替には、OpenOfficeやLibreOfficeがあります。Adobeに対抗するものとして、Affinity DesignerやCanvaがあります。
しかし、業務で利用しているソフトは、過去のデータや取引先との関係もあり、簡単に移行出来るものでもありません。わたし自身も試行錯誤しているところですが、マイクロソフト税もアドビ税もなかなか止められずに払い続けています・・・、(くやしぃぃ〜)😪。
来年にはマイクロソフトも値上げを予定しているようなので、いよいよ移行を考えているところです。Google WorkSpace/Nano Banana/Affinity Designerがあれば、何とかいけそうな気もしていますがどうなることか・・・。
データベース界隈では、絶対的な権力者として君臨しているオラクルへの対抗として、PostgreSQLやMySQLといったオープンソースのデータベースがユーザーの手で開発されてきました。
しかし、MySQLも買収されてオラクル帝国の支配下に吸収されてしまいました。オラクルに支配されないため、MySQL開発者のコミュニティでMySQLからフォーク(派生・分岐)して開発しているのがMariaDBです。
アップルのデータベースであるClaris FileMakerは中小企業のニーズでは十分に機能する素晴らしいデータベースでしたが、2018年頃から値上げを続け、オラクル的で複雑なライセンス体系も導入されました。
シェアの拡大とともにユーザーから離れ、金儲けに走っている感が否めなくなっています。ユーザーの味方だったはずの製品が、マネー主義に抱きこまれ、ダークサイドに落ちた残念な事例の一つです。
35年以上、FileMakerを使ってきたユーザーとしては腹ただしいばかりです。我が社では新規案件でのFileMakerの積極的な採用は控えて、PostgreSQLやMariaDBなどのオープンソース系に移行しています。
権威に盲従しない
2)権威主義の排除
次の課題は権威主義の排除です。
特に日本人はみんなが使っているものを好み、権威にも弱いため、市場の支配者に迎合する傾向があります。結果として、シェアを独占した企業はやりたい放題になってしまいます。
以下の図は費用対効果の推移を簡略化した概念図です。初期(Early Stage)のサービスは、ユーザーを獲得するために無料または安価に提供されることが多く、提供側もユーザーのニーズに忠実で誠実です。この段階では、シンプルな機能で使い勝手も良いことが多いものです。
しかし、成長期(Growth Stage)はより多くのユーザーを獲得しようとあれこれ機能を詰め込み始め、競合に対抗するための機能だとか、新奇性の高い見た目が優先されて、実際の使い勝手や性能が毀損されていきます。
一定のシェアを獲得した独占期(Monopoly Stage)は、投資回収モードに入るため、値上げがくり替えされてユーザーから見た費用対効果も下がっていきます。サービス提供側は、ごてごてに拡張されて複雑化した仕様とUIが重荷となり、本質的なイノベーションが行われなくなります。横暴な支配者は暴走し続けますが、ユーザーは重課金に耐えられなくなり、新たな代替勢力が登場することで、ユーザーのエクソダス(大異動)が起こり、衰退期 (Decline Stage)に入っていきます。

ちなみに上記の画像は、Googleの画像生成AI「Nano Banana」に描いてもらいました。まだ、日本語はうまく表現出来ないので英語ですが、こちらの意図を組んで的確な概念図を作成してくれます。
ちなみに巷ではリアルな写真のような画像、フェイク動画をAI で制作することが流行していますが、一連の動きについてとても懸念しています。AI によるフェイクは、人間の知覚に致命的な悪影響を及ぼす可能性があるものです。個人的にも、AIが生成するリアル系画像は使わないようにしてきました。
しかし、上記のような説明用のインフォグラフィクスについては、有意義な使い方だと考えています。このレベルのイラストを指示した通りにAIが生成してくれると何らかの概念を説明したいときに、たいへん効率的にコンテンツを組み立てることができます。
UI の劣化は避けられないのか
iOS26のLiquid Glassや継ぎはぎで混乱しているFacebook・Instagramは、バージョンを重ねていくごとに、UIと使い勝手が劣化していく典型的な事例です。
これはユーザー自身の選択もありますが、メディアやライターの責任も大きいものです。アップルのLiquid Glassがダメなことはすぐにわかりそうなものですが、スポンサーのアップルに忖度しているのか、批判していたメディアやライターはほとんどいませんでした。
無批判に権威を礼賛して迎合するのではなく、ユーザーに誠実な姿勢をもつ企業を評価して支援していくことが必要です。理想的には、独占期にいまいちど原点に回帰して、潤沢な資金をユーザーに還元するような正しい意志決定と革新を行うことができれば、ユーザーとプラットフォーマーともにハッピーな世界を構築することが可能なはずです。
そのためには、市場の支配者となった広告主であるビックテックに迎合することなく、人間性への理解と哲学を持ったメディアやジャーナリストが建設的な批判と提言をしていくことがとても重要です。
新奇を追わない
3)過剰な革新主義の排除
IT業界、新興勢力は新奇性を売りにして、ユーザーの注目と投資家の資金を獲得することで、急成長してきました。そして、広告と最新のリーク情報が欲しいメディアもビックテックの小判鮫のようにくっつき、提灯記事を乱造します。この両者に相互依存的な遺伝子があるせいで、派手な新奇性を追求した革新を止めることが出来ません。
Appleはユーザー中心主義ではあるのですが、昔から一人よがりで押し付けがましいところもあって、ユーザーが置いてけぼりになることも少なくありませんでした。上手くいっている時はAppleらしい魅力でもあったのですが、近年、ハード・ソフトともにデザインの劣化が著しくなって、ユーザーへの配慮も不足してくると、痛々しいことになってきます。
35年以上に及ぶAppleユーザーとしては、Appleへの愛憎も入り交じるものがあります。iOSも2012年頃にはほぼ完成していたようなもので、その後はミー文字とかLiquid Glassとか、表面上の装飾的な仕様変更に囚われているうちに本質的な進化は止まってしまいました。
本来はもっと、本質的な進化とコンテンツの充実、きめの細かい需要創出が出来たはずです。例えばAppleは、iBooks(現Apple Books)のサービスにおいても本質的なイノベーションを放棄して、単なる流通のプラットフォーム、商売の場にしてしまいました。
結局、紙の本をそのまま電子化しただけの電子書籍を販売するなら、KindleでもKoboでも同じことです。ただ単に自分の縄張りから、他の電子書籍プラットフォーマーを追い出して、ユーザーを囲い込んだだけでした。
本来、コンテンツとしての電子書籍にはもっと多様で堅実な需要創出、文化の醸成という役割があったはずです。こうした責任を全うせずに、自らの利権だけはがっちり確保しようとする姿勢は極めて醜いものです。
Appleは、「文化の担い手」としての責任を放棄し、「ただの集金装置(プラットフォーマー)」に成り下がってしまったのです。
デジタル文化の担い手は?
テクノロジー企業が本来担うべきだった「文化インフラとしての役割」への期待に対する裏切りと言わざるを得ません。なぜAppleが「きめの細かい需要創出」や「文化の醸成」を捨て、表面的な機能装飾に走るのか、その構造的な要因と、失われた可能性について整理してみましょう。
1.「iBooks Author」の廃止が象徴する「文化の切り捨て」
最も象徴的なのが、誰でも美しいインタラクティブな電子書籍を作れるツール「iBooks Author」の提供終了(2020年)です。
単なるテキストの電子化ではなく、動画や音声、クイズなどが埋め込まれた「新しい教科書」や「動く専門書」を作り、教育や出版文化を底上げしようとする理念がそこにはありました。
しかし、AppleはiBooks Authorを廃止してしまいました。これにより、電子書籍は「紙の本の劣化コピー(単なるPDFや画像)」という地位に留め置かれ、「本というメディアの再発明」が放棄されてしまいました。
2.「深い思考」より「浅い消費」を優先したビジネスモデル
Appleが電子書籍(深い没入)より、ミー文字やSNS(浅いコミュニケーション)向けの機能強化、あるいはApple Arcade(ゲーム)やApple TV+(動画)を優先する理由は、どこにあるのでしょう。やはり、マネー主義、儲け優先に走ったと言わざるを得ません。
書籍は「読み終われば終わり」ですが、動画やゲーム、SNSは「終わりのない消費」です。サブスクリプションで稼ぐ現在のApple(サービス部門)にとって、一度買ったら何時間も黙り込んでしまう「読書」という行為は、収益効率が悪い(ユーザーの時間単位で見て金にならない)のです。
ミー文字や通知機能の強化は、ユーザーの「承認欲求」を刺激し、画面を見続けさせるための仕掛けです。一方、読書に必要なのは「静寂」と「集中」です。これは今のスマホの生態系と真っ向から対立します。
3.失われた「文化の醸成」という未来
もしAppleが、その莫大な資金と美しいハードウェア(iPad)を使って、本気でiBooksのエコシステムを育てていれば、以下のような未来があったはずです。
知の共有プラットフォーム: 読んでいる本への書き込み(注釈)を、友人や著者とシェアできる機能。ハイパーリンクによる引用・脚注・相互参照など、有機的な知識データベースとしての共有プラットフォーム。
ニッチな出版文化の保護: 商業ベースに乗らない学術書や、絶版になった地域資料などを、低コストで配信させる公共図書館のような仕組み。
言うなれば、Appleは人類の共有資産としての「図書館」を作る力を持っていたのに、派手な看板のついた「ゲームセンター兼映画館」を作ることを選んだと言えます。
教育の荒廃と堕落
各大学の講義を学べる教育のプラットフォームとして、Appleが提供していた「iTunes U」も2021年末にサービス終了してしまいました。
本来、教育はAppleのDNAとも言える分野でしたが、教育分野へのコミットメントも縮小して、エンターテインメントと金儲けに走る姿は悲しいものです。
本来、App Storeのアプリ、Apple Booksの電子書籍、iTunes Uの講義動画などを組み合わせれば、より厚みのある多様性を持つ知性のプラットフォームがAppleデバイス上に構築される可能性があったのです。
特に出版文化の保護については、Appleに取り組んでもらいたい分野の一つでした。我が社でも2010年からアプリ事業に参入して、自然科学分野での図鑑や百科事典のデジタル化・アプリ化に取り組みました。
ゲームやエンターテインメント分野と異なり、短期的な収益は挙げにくいものですが、中長期では成立するビジネスであり、知のプラットフォーム構築への参画はやりがいのある事業になると考えていました。
しかし、短期的に投下資金を回収することは難しく、かなりの資金的な体力がないとアプリ開発を継続することは困難なものでした。
開発費を回収する間もなく、度重なる仕様変更が繰り返された結果、大手の出版社でさえもアプリ事業を継続することが出来ず、まともなコンテンツを提供していた出版社ほど、撤退していきました。
iOS7以降、Appleがどうでもよい仕様変更を繰り返し、開発費用の負担をデベロッパ—にかけ続けたことが原因の一つでもあります。
我が社の自社企画アプリ事業も3〜4タイトルをリリースしたところで息切れして、受託開発業務に戻らざるを得ませんでした。現在は細々とメンテナンスを続けながらも、再度のチャレンジを模索しています。
莫大な資金を持つAppleが一定数以上の本数を一時的に買い上げてデベロッパに支払ってくれるような、日本の出版取り次ぎ制度と似た仕組みがあれば、もっと多様なコンテンツがアプリ化されて、豊かな知的プラットフォームが生まれていたはずです。
Appleは「多様で堅実な需要」を掘り起こす手間を惜しみ、分かりやすく儲かる「マス向けの娯楽」に迎合しました。結果として、人類はスマホでゲームとSNSに興じ、ショート動画のような受動的コンテンツを漫然と消費する存在へと堕落してしまいました。
Appleの創業者スティーブ・ジョブズが構想した、人間の能力を拡張する「知性の自転車」という理念を思い出すと、現在のデジタル社会の様相は極めて残念なもであると言わざるを得ません。
2026年、CEOの交替もささやかれている中、「知恵の実」を象徴とするAppleが創業の原点に立ち返り、デジタル文化の先導者として人々の創造性を解き放ち、その圧倒的な力をより良きデジタル社会の構築に向けて発揮してくれることを心より願っています。
ささやかなる抵抗|UI / UX 憲章
わたし個人としても、近年のUI設計に欠如している根本的な思想と哲学を回復すること、具体的なUI/UXについて検証して改善を提案するような活動を模索していきたいと思います。
今回取り上げたトピック以外にも近年のデジタルツールには、そのユーザーインターフェースや仕様について指摘したい問題がヤマのようにあります。
近年、わたしが懸念している問題の一つに、UI/UXにおける状態の隠蔽 があります。本来、Appleのユーザーインターフェースは、現在何が起きているか、どこを操作すれば何がおきるか、といったことが直観的にわかる極めてユーザーフレンドリーなものでした。
ところが近年は見た目のデザインが優先され、直観的な操作性の良さが失われています。アプリごとの統一性もなくなり、極めてわかりにくくなっています。
また、良かれと思ってシステムがバックグランドで自動で行う処理も増えています。正しく動作しているときは良いのですが、エラーが起こると何が起きているのか全くわかりません。そして、状態を隠蔽する傾向は今後、AIエージェントが普及すると致命的な問題を引き起す可能性もあります。
こうした懸念をふまえて、まずは本日、UI / UX 憲章― 人間の主権を守るための設計原則 ―を勝手に宣言することにいたします。
いつの日か、ビックテックの朝礼で毎朝、唱和してもらいましょう!😉
(朝礼で社是を唱和って昭和の風景でした・・・)
今後、具体的なUI/UXの事例を取り上げつつ、考えていきたいと思います。
UI/UX憲章
参考書籍
中小企業経営者のためのDXガイドブック
2022年にKinldle書籍としてまとめたDXのガイドブックです。DXのそもそも論から本質的な考え方、デジタル化の進め方、ガイドとなるフレームワークを解説したものです。
関連情報
知性の自転車
あらためてAppleの原点である、人間の能力を拡張する「知性の自転車」としてのコンピュータというコンセプトを考えてみましょう。
以下はスティーブ・ジョブズが、知性の自転車としてのマックを語るインタビュー動画です。
「以前、地球上の生物の移動効率(エネルギー消費量)を比較した研究を読みました。 結果、コンドルが最も効率的で、人間はあまり効率が良くなく、リストのかなり下の方でした。 しかし、そこで『自転車に乗った人間』を計測したところ、コンドルを遥かに抜き去り、どの生物よりも効率的になったのです。 私にとってコンピュータとは、まさにこれです。人間が本来持っている能力を拡張してくれる道具、いわば『知性の自転車』なのです」
DX(デジタル・トランスフォーメーション)
DX(デジタル・トランスフォーメーション)の概念を初めて提唱されたとされる論文は、スウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマン(Erik Stolterman)教授らが2004年に発表したものです。
現在の日本ではもはや、「DX対応」といった曖昧な概念で製品の販促に使われるなど、“卑猥語化“してしまった感さえある “DX” ですが、本来は極めて倫理的な提言が行われている論文をベースとする概念です。
- 論文タイトル: Information Technology and the Good Life
- 著者: Erik Stolterman, Anna Croon Fors
- 発表年: 2004年
- PDF閲覧リンク:
- IFIP Working Group 8.2 (国際情報処理連盟) 公式サイト:https://ifipwg82.org/sites/ifipwg82.org/files/Stolterman.pdf
この論文の中で、教授はデジタルトランスフォーメーションを「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」と定義しました。
現在のビジネス文脈で使われる「企業の変革」といった狭義の意味だけでなく、本来はより広義な「技術と人間の生活の融合」という視点で書かれた非常に示唆に富む内容です。
「卑猥語化」とは
ある言葉が、本来の文脈から切り離され、あまりにも安易かつ下劣な目的(単なる金儲けやごまかし)で乱用された結果、「その言葉を使うこと自体に、知的な恥ずかしさや後ろめたさを感じる状態」になってしまうこと。


