池袋の東京芸術劇場ギャラリーで開催されている、「ジョン・グールドの鳥類図譜」展を見てきました。鳥類図譜44巻が一同に揃うのは世界的に見ても貴重な機会と言えるでしょう。
博物学の鬼才、荒俣宏さんの基調講演に続き、山階鳥類研究所所長の奥野卓司さん、同研究所フェローの黒田清子さんによるパネルディスカッションも聴講してきました。
今回は、ジョン・グールドの鳥類画展をご紹介しつつ、博物画から見える経済、社会、文化まで考えてみましょう。
博物画の世界
大航海時代、新しい生きものが続々と発見されていた頃の雰囲気が感じられ、博物画には独特の魅力があります。荒俣さんも40年近く前のヨーロッパ旅行でたまたま泊まったホテルの1室で博物画を目にしたことから、その魅力に取り憑かれ、博物画の購入には相当な金額をつぎこまれたようです。
わたしも、百年以上前に出版された博物画が1枚あたり3,000〜4,000円から買えるものがあることを知ったときは、「危ないから近づかないようにしよう・・・」と思っておりました。なんとか、この分野にはまらないよう距離を置いていたのですが、今回、展示を見たり、荒俣さんのお話を聞いているうちに、また欲しくなってきてしまいました。
ぼくはそれほどコレクション癖があるわけでもないのですが、童画家の 武井武雄 が部数限定で頒布していた刊本シリーズを密かに集めているので、財布と保管場所と相談しないといけません。刊本と武井武雄の魅力についてはまた別の機会に紹介します。
当時の様子がありありと
さて、荒俣さんの基調講演ですが、博物画の歴史と変遷について、貴重な資料をもとに、細かな描写の変化やその背景が解説されます。荒俣さんはとてつもない厚みの知識量を背景にお話しされるので、当時の様子も一層リアルに感じられます。
国力を誇示する意味も大きかったナポレオンのエジプト記に始まり、大航海時代に入ると貴族や王族たちが、世界中から集めた博物のコレクションを競うようになり、やがて、ルネサンス、ロンドン万博を経て、庶民の間でも博物画がブームになります。
当時、結婚のお祝い品として販売広告のようなものまで出していたとか、部数を限定して予約販売方式にしたとか、ジョン・グールドのプロデューサーとしての力量もうかがい知ることができました。実物大で描くことにこだわったこともあり、莫大な費用と手間がかかることから、当時の出版社はどこも引き受けてくれるところがなく、自ら出版までしてしまったという情熱にも心動かされます。
クリエイターの情熱
何となくグールドの鳥類図譜ともなれば、王侯貴族の莫大な資金力を背景に出版されたものとばかり思ってましたが、グールド自身が資産家だったわけではなかったようです。
庭園師の家庭に育ち、英国動物園協会に勤務するなど、プロデューサー・編集者としての周辺環境に恵まれていたとは言え、どんな偉業も、個人の情熱と地道な努力が背景にあることをあらためて思い知らされます。
現代でも、図鑑・百科事典はたいへん難しいビジネス分野です。事実確認だけでも膨大な作業ですし、編集も複雑になりやすく、最新の知見も常に反映していかなければなりません。間違いや変更があれば修正・改版する必要もあります。近代の日本でも、図鑑や百科事典を手掛けていた出版社が倒産や廃業に追い込まれる例も少なくありません。
我が社も、マルチメディア百科事典や野鳥図鑑アプリなどの企画開発にたずさわってきた経験から、そのビジネスとしての難しさは痛感しているだけに、グールドの偉業にあらためて感嘆します。歴史的印刷物としてなんとなく過去のものとして資料的に見ていた博物画ですが、絵師、彫り師、摺り師といった実際に制作にかかわった方たちの人となりや技術などをうかがい知ることも出来て、臨場感も高まってたいへん興味深い展示でした。
余談ですが当時、印刷技法のリトグラフ(石版画)が生まれた経緯も興味深いものでした。売れない戯曲作家がより多くの関係者に原稿を見てもらうため、コストをおさえて自身の原稿を印刷するために考案したとか。必要は発明の母、いつの時代も創意工夫で資金不足を跳ね返していた人がいるものです。こういう話は勇気付けられますね。
ものづくりの基本は情熱
従来、西洋人の描く生きものは冷たいといいますか、躍動感や暖かさに欠けるような印象を持っていましたが、グールドの鳥類図譜では鳥が生き生きととても魅力的に描かれています。ぼくらが敬愛する薮内正幸さんにも通じる、生きものを愛する気持ちが伝わってくる絵です。
ジョン・グールド自身が構図や構成などのラフを描き、夫人のエリザベス、若くしてグールド工房に参画したエドワード・リアらが絵を描いていました。デッサンや版の制作の様子などからも、生態を伝えようとしていろいろな工夫もされていることや、鳥や自然に向き合う姿勢・情熱を感じる内容でした。
資本主義の成熟と民度の関係
鳥類の絵としては、イギリスのジョン・グールドの後、アメリカのオーデュボンが「アメリカの鳥類」を遺しました。オーデュボンも出版には苦労したようでイギリスの出版社から販売されたようです。ある意味、こういった出版物は国力や民度の象徴でもあります。
イギリスは産業革命以降、物質主義、商業主義、効率主義が蔓延り、その後、長い低迷につながったように思います。アメリカも同じ経路を辿っているように見えます。
経済最優先で、人間が自己中心的になり、自然や環境に関心を示さなくなった国は経済的にも衰えるような気がします。どちらが先なのかわかりませんが、経済一辺倒になり、人の意識が貧困化すると、経済も衰えていくのかもしれません。
あるいは、経済が衰えるから自然や環境のことなど、考えている余裕がなくなるのか。因果関係はわかりませんが、相関はありそうな気がします。
博物画と宗教性
博物画の興隆には、神の被造物である生物を知ることで、神の意志を知ろうとする宗教的側面もあったようです。当初は、教会も自然界の観察と記録に前向きだったようですが、やがて微妙な状況になっていきます。人間と鳥類の骨格の類似性を図示してしまったピエール・ブロンの鳥類譜など、教会からお咎めをくらいそうになる状況などもあったようで興味深い話でした。Wikipedia にその図がありましたので、ご覧になってみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール・ブロン#/media/ファイル:Belon_Oyseaux.jpg
脊椎動物である以上、骨格が似ているのは当然のことですが、神による創造論を教化したい教会は、こういう図を出されるとやばいと思ったのでしょうね。
ダーウィンの進化論が社会的に大きな議論を呼び起こすにいたるまで、博物画の影響が大きかったことも想像できます。ルネサンス期から人類の近代的知性、科学の目覚めの記録としても、この時代の博物画はたいへん興味深いものです。
実際、ダーウィンとグールドは交流があり、ダーウィンの持ち帰ったフィンチの標本について、グールドが別種として識別したことが、後の進化論の構想につながったという説もあるようです。
実装する人間の強さ
この話をわたしはたいへん興味深く感じました。博物画のような精確な絵を実際に描く人間は詳細を誤魔化すことが出来ませんから、観察や考察がどうしても深くなります。
そういう立場にいたグールドが、ダーウィンがまだ自覚的には気付いていなかった、フィンチの嘴の微妙な違い、多様性が環境に関連していそうなことに気付いたとしても不思議ではありません。
こういうことは多くの分野で起こることです。実際に多くのデータを見ている人間や実装を担当する実務者にしか気づき得ないことがあります。わたしが、技術者、デザイナ、プログラマなど、実際に手を動かす人とその仕事を重視している理由の一つでもあります。
江戸の花鳥画
さて、ヨーロッパで近代科学の目覚めが起こっていた頃、日本はどのような状況だったのでしょうか。伊藤若冲や葛飾北斎が自然や動植物を描いていますし、堀田禽譜と呼ばれる鳥類図鑑も編纂されています。花鳥風月と言えば、日本人の自然に対する感性を象徴する言葉の一つです。
山階鳥類研究所所長の奥野卓司さんからは、江戸の花鳥画と博物画との比較が提起されます。江戸時代に描かれた雷鳥の絵などから写実性と宗教性についての視点など、興味深いお話でした。
ルネサンス以降の西洋絵画は遠近法や陰影などを多用した写実的な方向に進化していきますが、日本画・花鳥画ではデフォルメや誇張が多用され、より絵画的・装飾的です。博物画における写実性と装飾性については、イギリスは事実の描写という写実性が強く、フランスは絵画としての意匠性や装飾性が強い傾向だったようで、それぞれの国民性とも合わせて考えると興味深いものです。
浮世絵や日本画が印象派に影響を与えたことなども考えると、それぞれの時代や地域において、感性がどこに向かっているか想像するのも面白いものです。結構、すべての創作活動に共通する普遍的な命題も感じられます。
真実性・正確性、構造・構成、技巧・緻密さといった正統的な要素と、修飾や誇張、即興性やエネルギー、ルールの超越といった要素のせめぎ合いです。タイプは違えど、グールドも若冲も精確さと生命の持つエネルギーがバランス良く感じられますね。
わたしたちが愛する動物画家の薮内正幸さんの絵にも、正確で緻密に描かれていながら、構図の大胆さやデフォルメなど、生きものの持つエネルギー・躍動・気のようなものが感じられる構成で、独特の魅力があります。
すべてのクリエイティブ活動に言えることですが、装飾や意匠に凝りすぎれば、民芸研究で有名な柳宗悦が嫌ったように「匠気」が嫌みになります。現代的にみても、商業主義がすぎれば嫌みになるし、市場を意識しないとクリエイティブな表現が伝えられない面もあります。
中世のヨーロッパ、江戸時代の日本、自然と人間、アートとビジネス、普遍的な命題をいろいろと考える良い機会となりました。
アートを見に行こう
伊藤若冲の価値が再認識されたのは、ジョー・ブライスさんのコレクションの功績でしょう。辻 惟雄氏、山下 裕二氏、赤瀬川 源平氏らの活動や著作もあり、日本美術がブームとも言える状況ですが、日本人として、あらためて日本の美術を見直したいものです。
今年は、原宿の浮世絵 太田記念美術館で小原小邨展も見てきました。2020年は出光美術館で若冲展もあるようですし、日本美術、花鳥画、博物画、自然や生きものに関わるアートへの関心が高まっていくことを期待しています。
このブログは、生きもの・動物好き、技術者・クリエイター、研究者・教育関係者、経営者・起業家といった方たちを読者として想定して書いています。
アートはすべての人に必要なものですが、クリエィティブな方には必須のものです。また、今後は多くの分野でクリエイティブが重要になりますから、アートにふれる機会と時間は、きっと精神面にも仕事面にとっても意義深いことになると思います。
アート鑑賞の後は
アートに関心を持ち、展示会に足を運んだら、心のおもむくまま、感性を遊ばせましょう。仕事や社会からの要求、合理性や論理的思考からも解放されます。空想、仮想、妄想OK。あまり頭を使わずに、五感をフル稼働します。
でも、アート鑑賞で空想世界に遊んだ後は現実に戻ります。現実というのは日常という意味ではなく、物理世界を感じるということです。これには2つの楽しみ方があります。
1.絵にまつわるリアル
実際に絵の具やキャンパスに体を使って絵を描いた人がいたことを感じます。物理的に手を動かした人がいたこととその行為を感じます。瞬く間に即興で描かれた絵画もあるでしょう、数ヶ月かけて緻密に描かれたものもあるでしょう。絵が出来ていく様子などを想像します。
絵の具は化学や物理現象ですし、どんな筆で描かれたのか、この色はどんな物質で出来ているのか、知りたいことは山のように出てきます。こういうことを調べたり、想像することも楽しいものです。
2.描かれたものを感じる
生きもの好きの楽しみ方は、なんといっても描かれた生きものたちがリアルに存在していた様子を思い浮かべることです。グールドや薮内正幸の描く動物は、形態が正確・精緻に描かれ、リアルな生態を想像しやすく、生命感にあふれています。描かれた生きものたちの生命を感じるのです。そして、実際に自然の中で対象の生きものを見た経験を持っていると、絵から感じる臨場感もより特別なものになります。
図鑑を持って野に出よう
アートの世界で魅力的な生きものに出会ったら、ぜひ本物を見に行きましょう。若冲の描いたゾウやトラは動物園に行けば出会えます。観察による精確さ、絵画ならではの飛躍や誇張、人と動物の関係と歴史、いろいろなことが頭を巡ります。グールドの描いた野鳥もイギリスと日本では共通種も多いですから、日本でも意外と身近なところで出会えるかもしれません。
伊藤若冲、小原小邨、小林重三、薮内正幸、自然と生きものを描いた画家の作品にふれたなら、彼らの描いた本物を見に野に出ましょう! 「書を捨てよ、町へ出よう」は寺山修司の有名な言葉ですが、生きもの好き、博物学好きの標語は、「図鑑を持って、野に出よう!」です。
参考書籍
いきもの細密画アートグッズ
本文でも紹介した動物画家の薮内正幸さんの描く動物はとても生き生きとして、その動物らしさ、躍動感の感じられる素晴らしい作品を多数のこされました。わたしたちは薮内さんの描く動物画に惚れ込んで、グッズとして企画・製造・販売をさせていただいています。
薮内正幸美術館
日本で唯一の動物画専門の美術館、薮内正幸美術館のWebサイトです。薮内正幸美術館は森林の中の小さな美術館で、山梨県北杜市白州町、サントリー白州蒸溜所の近くにあります。庭には野鳥や動物たちもやってくる、とても素敵な美術館です。薮内正幸さんが資料として収集していた動物図鑑や往年の雑誌「アニマ」等、蔵書も充実していて、動物好きにはたまらない場所です。ぜひ一度、訪れてください。
野鳥の鳴き声図鑑 〜iOS/Androidで使えるアプリ〜
日本で一般的な野鳥250種の鳴き声を収録した野鳥図鑑、わたし自身が一ユーザーとして、野鳥の鳴き声や種類を覚えたくて作ったアプリです。