木のことは、木に聞け
― 宮大工棟梁・西岡常一
西岡常一氏は、法隆寺や薬師寺の修復を指揮し、日本の伝統建築を支えた宮大工の棟梁です。
職人の世界に伝承されてきた 暗黙知 には膨大な智恵が蓄積されています。西岡さんも伝統を伝える宮大工の棟梁として、身体で覚える実践的な智恵を徹底した人でした。
法隆寺の大改修では、学者や役人に対しても身体を張った主張を続け、ときに方針をめぐってたびたび論戦も巻き起こりました。
仕事に全身全霊を捧げ、現場で木と対話してきた西岡さんは、次のような優れた暗黙知を体現する存在でした。
・卓越した技能と感性
・口伝と修行によって築かれた哲学
・膨大な体験に基づいた直観
・これらを統合する智恵
いずれも、学問的な権威を妄信してしまうアタマでっかちな現代人が失ってしまった知性です。そして、AIが凄まじい進化を遂げ、人間の知恵が問われている現在、こうした暗黙知の重要性がより高まっています。
今回は、AI時代に必要とされる人間の知性について考えてみましょう。 手に宿る知性を再考することで、AI時代の人間の働き方も見えてくるはずです。
「手に職」の時代、再び
戦後80年、昭和100年、2025年は何かと節目となった年でした。今年、AIが劇的な進化を遂げ、多くの仕事が再定義されようとしていることも偶然ではないように思います。
ホワイトカラーの仕事の8割はなくなるといった予測もされ、米国ではすでにホワイトカラーからブルーカラーへの大異動も起きています。デスクワークの大半はAIに置き替え可能ですが、大工や配管工といった職人の仕事をAIロボットが行うようになるのはまだまだ相当先のことになります。
思えば約40年前、1985年ごろが節目だったように思います。当時、進学か就職かを選択する時点で「手に職」という感覚がまだ強く残っていた時代でした。
一方で既に、学歴信仰や受験戦争が勃興しており、良い大学に入って良い会社に就社することの目的化が始まった時代でもありました。
増殖するホワイトカラーとブルシットジョブ
多くの若者が学歴社会へと邁進していき、会社に入った後もホワイトカラーの中で管理職としての「昇進」が目的化していきます。事務と管理、社内調整と社内政治ばかりが肥大化して、実務から乖離したブルシットジョブ(クソどうでもよい仕事)が積み上がっていきます。
文化人類学者 デヴィッド・グレーバー(David Graeber) は、現代の組織を蝕む病理をブルシットジョブと呼び、明らかにしました。
全く無意味・不必要・有害でさえあるのに、フルタイムで働き続けるために作られている職務
無駄な仕事がさらに無駄な仕事を生み、管理部門が増殖して、ホワイトカラーの階層も深くなっていきます。あげくの果て、実務との距離が遠くなるにつれて現場を蔑視する風潮まで蔓延してしまいます。
農家やものづくりをバカにした、職業差別ととられるような発言で物議を醸した某県知事が象徴的でした。
世間知らずのインテリ、現場を見ない管理屋に共通するエリート意識は、牛を育てる酪農家やものづくりの現場で働く職人が宿す高度な知性を理解できないのでしょう。小賢しい役人、中途半端な学者も、現場の実践的な智恵、優れた知性を知りません。
受験で歪んだ学問の末路
デスクワークのみを高度な知性と勘違いした受験エリートが、政治・行政・学術機関・企業のあらゆる分野で幅を効かせるようになってしまいました。実践と実学は軽視され、机上の空論が上から目線で現場に押しつけられます。こうした現場感覚を持たない学歴エリートによる歪んだヒエラルキー社会が現代の諸問題の根源とも言えます。
この仕組まれた階級社会を疑うことなく誰もが大学へ進学するようになり、本来はブルーカラーに適していたような人材までも無理に受験勉強を重ね、わざわざ学歴カースト(身分制度)に組み込まれていきました。
結果として、肉体労働、ブルーカラー、エッセンシャルワークと呼ばれる社会のインフラを支える重要な仕事の価値も軽んじられ、現場では人材不足が叫ばれています。
この構図は、世界的に共通する傾向で、移民問題の根源的な要因の一つとなっています。
壮大なるミスマッチ
学歴と金儲けばかりが評価基準とされることで、人間性と生活常識が歪み、社会倫理は崩壊してきました。コスバ・タイパを重視して、効率良く楽して儲けるやつが偉いかのような風潮も広まり、地道な努力や厳しい修業は敬遠されるようになります。
先進国ではホワイトカラーが余り始め、高学歴の若者が就職出来ない現象も増えています。若手が担っていた事務の補助作業はAIに置き換えられ、仕事を覚える機会も減っていきます。
もはや、AIが一瞬で体系的かつ最適化して出力してしまう知識を学ぶため、若くて最も成長ポテンシャルが高い四年間を費やして、大学に進学することの意味はどこにあるのでしょうか。しかも、奨学金という借金を抱えてまで・・・。
今後はこうした傾向がますます加速していくはずですが、アカデミズムも行政も徹底的に遅れています。企業の教育も同様で、制度やカリキュラムが追い付く間もなく、AIの革命的進化は思考停止した人たちを置き去りにして、どんどん進行しています。
ブルーカラーへの回帰
トランプ大統領の有力支援者で多大な影響力を持つピーター・ティール氏は、進学ではなくて起業を選んだ若者にティール・フェローシップという制度で20万ドルの支援をするなど、若者に少しでも早くビジネスの実践に取り組むことを推奨しています。
ピーター・ティールを始め、イーロン・マスクやJDバンス副大統領といったテック・リバタリアン系の人たちは、過剰に左傾化したアカデミアとエリート層に批判的です。
確かに、日米ともに教育機関と官僚は左翼思想が強過ぎるようです。そして、共産主義に傾倒していながら肉体労働を蔑視しているのですから、左翼の特権階級にありがちな倒錯ぶりには呆れるしかありません。本来、鎌と鎚は、それぞれ農民と職工という労働の象徴であったはずです。

トランプは大統領選での活動を通じて、配管工や電気工事士のようなブルーカラーの人たち、現場で働く肉体労働者を讃えることで、普通の労働者たちの支持を集めることに成功しました。
元々、トランプは不動産事業でもホテルの清掃員の業務を自ら体験して現場のスタッフを労うなど、現場の大切さを理解していました。選挙キャンペーン中にはマクドナルドで働いて見せ、労働者の心をつかむ演出も効果的でした。
虚業から実業へ回帰する米国
2025年11月、イスラム教徒で社会主義者であるゾーラン・マムダニ氏が金持ちへの課税強化と富の再分配を掲げてニューヨーク市長となりました。マムダニの社会主義的な主張は驚きとともに世論を二分し、当初はトランプも激しく対立していました。しかし、両者が直接会談した後の記者会見は妙に融和的なものでした。
トランプとマムダニは反エリートという意味では共通しており、政策で一致する方向性もあったのでしょう。マムダニは民主党内のエスタブリッシュメントと対立しており、金融でぼろ儲けしているエリートvs庶民・労働者という構図で見れば、トランプにとっても共通の敵です。
トランプ・バンス政権は、労働者階級の草の根運動に支えられて誕生しました。バンス副大統領が、ラストベルト(さびついた工業地帯)の衰退した製造業を象徴する街で、白人労働者階級の貧困層出身であることも偶然ではありません。
バンスはティールのファンドで働いていた経歴を持っており、副大統領に抜擢された背景には影の大統領とも言われるピーター・ティールの意向があったと言われています。そして、ティールが自らのファンド立ち上げ時に語った有名な次の言葉も製造業回帰のトレンドを示しています。
空飛ぶ車を望んでいたのに、手にしていたのは140文字(Twitter)だった
ピーター・ティール
バイデンまでの米国民主党政権は、金融、IT、エンターテインメントといった情報産業、つまりビット(デジタル)の領域で効率良く儲ける産業政策に偏りすぎていました。膨大な資金を費やしていながら、アトム(物理的な)領域での革新も投資も行われることがなくなり、米国の製造業と建設業は衰退し、社会インフラはぼろぼろになってしまいました。
ものづくりの機能を失った米国は軍需も自国で製造を完結することが出来ず、中国に依存しているリスクに気が付いて、製造業をあわてて復興しようとしているわけです。
ビットからアトムへのこうした政治的なトレンドもブルーカラーが再評価されている理由の一つであり、軍事や地政学とも関連していることから、数十年単位での確固たる変革になると考えられます。
再定義されるブルーカラー
一方でブルーカラーにおいても、単純な肉体労働はロボットに代替されていくことになります。現在、テスラの人型ロボット「オプティマス」は、大量のデータを読み込んで訓練中です。
工場のラインや物流センターのような定型業務を中心に、人型ロボットはかなりの勢いで普及するはずです。しかし、ブルーカラーの仕事は単純労働ばかりではなく、実際は人間的な知性を必要とする膨大な領域が潜在しています。
農林水産業、建設業・製造業等で自然・生命・物質を扱う非定型な業務は、安易にロボットに置き換えられるものではありません。実務の複雑性と危険性、法制度と責任の所在など、考慮するべき膨大な課題が存在します。
長年、軽視され続けてきましたが、大工、修理工、電気工や配管工、建設土木技術者など、専門的な知識と身体的な技術の熟練が必要な仕事は山ほどあります。
こうした分野にロボティクスを導入するには、調整や点検、メンテナンスなど、現場で「責任」を持って実務への最適化を行うことも必要です。
人との協調が不可欠であり、ホワイトカラーもブルーカラーも仕事の構造が大きく変動していくことは間違いありません。AIロボットマネージャーのような新たな仕事も生まれる可能性もあります。
いずれにしろ、数十年ぷりに「手に職」が見直されることになるわけですが、学校を始め、家庭、企業における教育のあり方、処遇や制度を含めた労使双方の意識改革も必要で、人材の移行も簡単なことではありません。
近年、リ・スキリングと称して、スキルの学び直しも提唱されてきましたが、AIとロボティクスを前提とした社会では、一人一人が自らスキルを自発的にアップデートしていくことが重要です。
スキルを再構築する
アップデートしていく上で、以下の3分野に仕事の構造を分解して再考してみましょう。
1 . 能力
《定型・非定型》《言語・非言語》《公開・非公開》
2 . 人間性
《感性・情動・共感・人脈》
3 . 信頼性
《資格・許認可・実績》
能力には定型業務と非定型業務があり、言語化・形式化出来るか、公開されているスキルか非公開スキル(企業秘密等)か、資格・許認可・独占業務かといった特性があります。このうち、定型業務で形式化出来るもの、マニュアル化出来るスキルは、AIとロボットに置き換えられていきます。
あらかじめ決められたことを決められた通りに行うこと、過去の事例をなぞるだけの仕事は、人間がやる必要がなくなっていくわけです。
特に、官僚を頂点とする学歴エリートたちが得意としてきた机上で完結するスキルこそが一番AIに置き換えられやすいものです。
一方で、ブルーカラー、エッセンシャルワーカーには、暗黙知の膨大な領域が眠っています。以下のような分野の能力がAIに代替されることは当分ないのです。
・非定型業務
・非言語・非形式的なスキル
・身体的・感覚的な技能
ここに、ブルカラーへの大異動が起きている要因があります。単純労働ではない技術者としての肉体労働の価値が高まっていて、米国メディアでは「ブルーカラービリオネア」といった表現がされるほど、一部の技術者の需要も高まっています。
いかにもメディアの煽り方で実際にブルーカラーの億万長者が増えているかは疑問ですが、IT・金融・コンサルタントといった業界が人員削減をしていたり、高収入と言われていた職種が低下傾向にある中、一部の技術者は上昇傾向にあり、職業訓練校も盛況なことは確かなようです。
「四年制大学 → ホワイトカラー→マネージャーとしての昇進」がキャリアの王道という固定観念も薄れ、Z世代を中心に実利性・安定性を重視する傾向も高まっています。「手に職」志向の高まりに応じて、教育も暗黙知と身体知にシフトしていく必要があります。
暗黙知と形式知を統合する
「手に職」とはまさに、非定型・非言語・身体的なスキルによって構成されているものです。
その究極の姿とも言えるのが、宮大工です。
木は大自然が生み育てた命ですがな。木は物やありません。生きものです
木を材料としてではなく、生きものとして扱え と語る西岡さんの言葉には、AI時代の人間への重要な示唆が含まれています。
西岡さんは弟子たちに、
木には“くせ”があり、“声”がある。木を生きものとして扱い、声を聴くのが宮大工の仕事であり、図面ではなく手と感覚が設計図だ
と、教えていました。
こうした暗黙知も分解していけば、年輪の走り方や密度の見立て、節の位置と形、手触りから得られる質感や油水分量などを総合して判断していると思います。将来、こうした職人の知恵も言語化・データ化して、AIが判定できるようになる可能性はあります。
しかし、こうした繊細で膨大なデータをセンシングしで統合するには、まだまだ膨大な技術的ブレークスルーが必要です。AIが木の声を聞くようになるのは、数世紀は先のことになるでしょう。
暗黙知を探求する
We can know more than we can tell(人は語りうる以上のことを知っている)
マイケル・ポランニー(Michael Polanyi)
人間の智恵は言語化できない「暗黙知(tacit knowledge)」に支えられていることを認識して、謙虚に探求する必要があります。
一方で、それを他者に伝え、継承するためには“形式化”も必要です。そして、言語化・データ化することで、システム化・AI化が可能になります。
| 種類 | 暗黙知(Tacit) | 形式知(Explicit) |
|---|---|---|
| 内容 | 感覚、直観、経験、熟練 | 手順、理論、仕様書、データ |
| 伝達 | 困難。体験が必要 | 容易。文書化できる |
| 習得 | 時間がかかる。現場中心 | 学習可能。教育が容易 |
| 存在場所 | 個人の身体・脳 | 組織・本・ドキュメント |
資格や制度、理論や規約といった「形式知」が絶対化され、身体知から切り離されて一人歩きを始めると、智恵は形骸化し、価値を失っていきます。暗黙知と形式知の交わるところでバランスを取り、統合してつなぐところに、AI時代の人間の重要な役割があるのです。
AI時代は、暗黙知の領域に眠る人としての能力を最大限に高める視点が必要です。定型業務と非定型業務、暗黙知と形式知、公開と非公開といった視点で能力の構成を俯瞰してみましょう。
定型業務はロボットに置き換えられていきますが、非定型で身体的な技能を伴う業務はヒトの仕事として残ります。マニュアル化された形式知だけでは対応出来ない暗黙知の領域にヒトの仕事が残ります。公開されていない機密情報に基づく領域も、代替されにくい仕事です。
暗黙知・身体知の体系化
こういった分野の仕事も、昔ながらの方法でやっているだけでは効率が悪く、人材を育てることも出来ません。昔のように厳しい修行の中でひたすら反復練習させて仕事を覚えさせるような教育は、難しくなっているからです。
昔の職人は親方に蹴飛ばされ、殴られながら仕事を覚えていたものです。しかし、現代でこんな教育をすればパワハラで騒がれて、若者はあっという間に辞めていってしまいます。
ブルーカラーの危険な職場には厳しい規律も必要です。甘やかされて自由気ままに育った先進国の若者には適応が難しく、建設業・製造業の現場が移民に頼らざるを得ない要因の一つになっています。
日本でも、建設業・製造業の現場で働く労働者向けの講習が、ベトナム語やインドネシア語で行われる機会も増えています。現場の仕事は資格や免許が必要なものもあり、危険性や技能訓練の観点からも、そもそもそんなに簡単な仕事ではないのです。
ブルーワーカーの人材不足に伴って待遇改善が進んでいますが、日本の若者の側の意識改革も必要です。ここは社会全体で意識改革が必要な領域で、本来、もっとリスペクトされているべき仕事なのです。
尊敬される職人像は
ドイツでは、マイスター制度により職人の評価と収入が高く、職人は 大学卒と同等レベルの専門家として社会的地位を得られていると言われていました。そのドイツでさえも、この数十年はアカデミア志向が強かったようで、職人の高齢化に伴って、ブルーワーカーの人材不足と移民問題に悩まされています。
この数十年続いたホワイトカラー、デスクワーク、アカデミズムに偏向した教育システムとともに、労働者の意識を改革していくことも必要です。
この課題解決に有効な施策が、非定型業務を形式化してデジタル技術を導入することです。デジタル技術を活用することで人材教育を行いやすくなり、生産性も向上して待遇改善を行うことも可能になってくるはずです。
我が社でも、IoT(Internet of Things , モノのインターネット)のシステム、CAD/CAMによるものづくりのデジタル化、eラーニングといった技術でこの分野に貢献するべく活動しています。
ヒトとして生きる
デジタル技術を活用して暗黙知を形式化すると同時に、新たに非定型な領域を開拓していくことが人間の仕事として重要になっていきます。そのためにも、そもそもの人間性について考えてみましょう。
労働への意識改革という意味でも考慮すべき鍵となってくるのが、2番目の要素である人間性(感性・情動・共感・人脈)です。
一般的には、情動的なコミュニケーション能力がAIに代替されることはないという言い方もされていますが、本当でしょうか。ChatGPTがバージョン5にアップグレードされた際、世界中でChatGPTが「以前より冷たく、事務的になった」「距離を置かれた感じがする」といったという批判が殺到しました。
意外なほど多くの人が、AIとの対話を情動的にとらえていたのです。確かに不躾なイケイケの営業マンや決まったことを繰り返すだけの役人より、AIはよほど気の利いた対応をしてくることが少なくありません。浅い意味での表面的な感情に限定すれば、接客といった対人業務もAIに置き換えられていく可能性は十分にあるのです。
もちろん泥臭い人間関係やコネによるヒトのつながりはなかなか代替されにくい領域は残りますが、人間性についても深く考えておく必要がありそうです。特に学歴エリートである官僚や学者は、人間性を排除するように教育されており、論文になっていない情報やデータ、言語化される前の感性を無視する傾向にあります。
近年の医師は、検査結果のデータばかり見ており、生きものとしてのヒトを診る感性を喪失しています。役人や学者にとっても、ヒトの生活も命も書類の中の数字でしかなく、単なるデータとなってしまっています。データにならない暗黙知の領域がすっぽり抜けてしまっており、ヒトとしての感性と生活常識、共感性や慈愛の心まで失っているのです。
国会での役人の答弁を聞いていると、形式的に書類を読むばかりで、あまりにも杓子定規で社会の実態も見ていません。生身の人間を無視しており、彼らは完全に人間性を喪失しているようにさえ見えます。
西岡さんは、>「木を材料としてではなく、生きものとして扱え」と教えていましたが、官僚はいまやヒトである庶民のことさえ、生きものとして扱っていません。
ヒトの心を失った官僚と学者
特に酷いのが、厚生労働省です。ワクチン接種後に亡くなった遺族の方たちが、原因究明と救済を求めて嘆願しているのに、厚生労働省の役人と審議会の専門家と称する学者たちは、「ワクチンに重大な懸念は認められない」と強弁し続けています。
接種後に体調を崩してそのまま亡くなってしまった方の事例でさえ、詳しく調査されることもなく「評価不能」「γ 評価」といった意味不明な答弁を繰り返しています。
悲嘆にくれる遺族への配慮もなく、データを検証することもなく、データを隠蔽し続け、同じ答弁を繰り返す厚生労働省の役人たちには、もはや人の心も知性もあるとは思えません。
役人は紙の上のデータしか見ておらず、製薬会社から研究資金を提供されている専門家は、言わば買収・懐柔されている状態です。製薬会社に都合の悪い事象には「見ざる、聞かざる、言わざる」を貫いています。
彼らが人間性を喪失している原因は、カネと保身が大きいわけですが、それ以上に大きいのが学問の呪縛です。EBM(Ebidence based medicine)といった概念自体は、データとエビデンスに基づいた検証可能な医療を提供するという意味で重要なものです。
しかし、データとエビデンスを構成する治験には膨大な手間と費用がかかることから、製薬会社に不利なデータは表に出ることなく隠蔽され、有利なデータは絶対的な真理かのように誇張されています。
研究者も研究資金を得るために、ワクチンや新薬のように膨大な利益を生みだす分野に研究テーマも限定されていきます。学会も医療誌も製薬会社がスポンサーとなっているため、製薬会社に不利な論文は、アクセプトもパブリッシュもされません。
論文やエビデンスに基づいて、意思決定しなければならない立場の官僚は、紙と統計に依存するしかないので、実態に基づかない判断をするようになります。米国の監督機関であるFDA/CDCにいたっては製薬会社の人間が回転ドアのように天下り・天上がりを繰り返して、利権に有利な状況を作り出しています。
現代の医療はまさに、象牙の塔、砂上の楼閣、裸の王様・・・、と表現するしかないような状況なのです。
脱「口だけ、紙だけ、カタチだけ」
人間性の喪失は医療分野に限ったことではなく、学歴エリート全般に共通する病となってしまっています。
現場の実体から乖離しているという意味では、大企業も同様です。社員や下請け企業を機能としてのみ扱うようになり、共に価値を創出するパートナー=生きものとして扱っていません。コストを下げろ、納期を守れ、品質は下げるな、法規は遵守しろ、情報と技術は開示しろ、といった要求を現場に突きつけています。
現場の実情に配慮することなく、金、法律、規約、契約、仕様について、杓子定規に負担を現場に押し付けています。個別の要求はもっともなものだったとしでも、全体整合性が取れていないことが増えているのです。
こうした傾向は英米も欧州も同様で、先進国の現場では吸収出来ず、環境規制や労働基準が緩い中国の台頭を助長する要因にもなっています。
近年の経営者は、中国に製造拠点を移転すること、MBA的な財務スキームを駆使して決算書の数値を操作すること、派遣労働に切り替えて社員給与を節約すること、下請け企業にコストカットを強要するといった手法で短期的な利益を上げ、株主配当と自身の役員報酬を増やし続けてきました。
本来、日本企業がもっていた三方良しの経営も、長期的視点も失われてしまいました。まさに「今だけ、カネだけ、自分だけ」の連中が、優秀な経営者かのようにもてはやされていたのです。
こうした傾向も世界的に蔓延していた現象です。無国籍金融資本が株主の意向として、金融機関出身者やMBA経営者を老舗企業に送り込み、M&Aやらリストラやらコストカットで短期的な利益を出す一方で、長期的な価値創出の機能を失ってきました。
現場から遠くなった管理者、経営者、学者、官僚は、社会の実態から乖離して、現場のニーズとは関係のないトンチンカンなことばかり推進しています。
学歴エリートに共通する弊害は、「口だけ、紙だけ、カタチだけ」になりやすいことです。そして、紙の上のカタチばかり気にしている人たちは、データや統計の不正を見抜く力も喪失していきます。AI時代のホワイトカラーはもっと、現場に足を運び、自分の目で見て、人と話し、物質に触り、自ら手を動かす必要があるはずです。
バランスと統合の道へ
本ブログでお決まりのまとめになってしまいますが、バランスと統合が必要です。ホワイトカラーの側は、「口だけ、紙だけ、カタチだけ」にならないよう、現場をリスペクトして足を運びましよう。
そして、現場の側は、形式化や合理化を学びましょう。AI時代には、これらを統合する人材が必要です。
伝統は、形を守ることではなく、精神を伝えることや。
西岡さんの著作では、弟子との対話においても自らの体験の中でも、実際の建築物を観察することで得られる智恵の話が多く語られています。飛鳥・奈良時代の建築物を良く観察して、現地・現物から得た智恵と直感を判断の基準にされていました。
形式的なことばかりにとらわれている官僚や学者は、まさに「仏作って魂入れず」になっており、そもそも何のために形式が存在しているかを忘れています。西岡さんは、「仏法を知らずに寺社を建てるな」という宮大工の世界で伝承されてきた口伝を大切にされ、仏教についても学ばれ、実践をされていました。
魂入ってる?
全体を理解しているかどうかは、細部の判断にも影響します。逆に細部を知らずに、全体を統合するための最適な判断をすることも出来ません。神は「細部に宿る」と言われています。ディテールに具体的な関わり持って手を動かすことも、制度や理論を学び全体を俯瞰することも、どちらも必要なことなのです。
これからの時代は、資格も実務も、暗黙知も形式知も、理系・文系も、ホワイトカラーもブルーカラーも、論理・感性も、学びも遊びも、「全部入り」の人材が必要な時代になってくるはずです。
わたしも「全部入り」のエンジニアを志向しており、いわゆるフルスタックエンジニアとして、フロントエンドからバックエンド、データベース、クラウド、インフラ構築まで、企画・開発から運用・保守まで、全工程に渡って自分の手を動かしています。
IoT (Internet of things)のシステムでは、計測機器をシステムに組み込むため、マイコン側のプログラミングや電子基板の制作〜ハンダ付け、ケースや治具の設計・組み立てまで行っています。
もちろん、業務内容や規模によっては、第三者の力を活用することも重要です。しかし、丸投げするのではなく、出来るだけ自分で実務を把握するようにしています。ソフトもハードも広範な分野で実際に自分で手を動かしていることで、外注する場合でも誰に何をどのように依頼すれば良いか、的確に判断することができるのです。
そして、AIの活用においても、該当する実務を体験しているかどうか、現地・現物を手触りを持って知っているかどうかが、AIを使いこなす上での鍵にもなってきます。体験を伴った意識や情動が人に備わっているどうか、知識や形式に魂が入っているかどうかは、AI 活用の巧拙にも大きな影響があります。
そもそも、自分が体験したこともないまま、原理や構造も理解していないまま、AIの出力をそのまま使うような人間はあっという間に信頼を失うことになるでしょう。
信頼性について
3つ目の要素である信頼性(資格・認証・許認可・実績)についても考えておきましょう。AI が普及するにつれて、知識・智恵だけで差別化することが難しくなっていきます。前述してきたように、人間に求められる能力は、
・熟練を要する身体的技能
・情動的・感覚的な感性
・暗黙知と形式知の統合
といった分野に集約されていきます。
もう一つ、人間に残る領域が信頼性です。AIエージェントと呼ばれる技術分野では、AIにコンピュータの操作をさせることを前提としていますが、責任や信頼といった分野は人間に残ります。
以下の性質を持つ業務は、法律により「特定の行為はこの資格保有者しかできない」と定義されている独占業務であり、AIが進化しても当分変わることはないでしょう。
・公共の安全の確保(電気工事、医療など命に直結)
・財産の保護(建築、土地の取引、税務)
・専門知識の担保(社会的影響が大きい判断行為)
法的資格がないと出来ない独占業務がある以上、こうした士業資格を持っている人が有利なことは確かです。しかし、ホワイトカラー領域では、税理士・公認会計士・司法書士などの文書系の士業はAIに代替される業務が多くなります。IT 先進国のエストニアでは、税務申告が自動化されたことで税理士という職務はなくなり、財務コンサルタント業務にシフトしているようです。
日本では、税理士や薬剤師といった団体のロビー活動が強固なので士業の優位性が簡単にはなくなることはありませんが、長期的には机上で完結する業務はAIに代替される運命にあります。
多様な資格・制度が関連しており、実績や人脈を含めた信頼性を構築する視点がより重要になっていきます。信頼性を中長期で構築する視点を持ち、資格・制度・学歴、コミュニティ・人脈・実績を俯瞰して、AIを活用した能力を最適化していく必要があるでしょう。
わたしも基本的には実務優先でやってきたので、資格・認証はあまり重視してこなかったのですが、AIの凄まじい進化をみて見直しています。AIを前提とした社会を想定して、わたしが実践している取り組みを参考までに紹介します。
資格制度も活用する
ITエンジニアとして業務対象とすることが多いAWSクラウドについては、認証資格である「ソリューションアーキテクト」を2019年から更新し続けてきました。クラウドはDX時代の社会インフラとなるものです。基盤となるクラウドの構造を理解し、制御する能力はAI時代により重要性を増しています。
データをどこにどのような形で保存して利用するか、アクセス権限はどうするか、ビジネスロジックを含むシステムをどこに構築するかなど、データとシステムのマネジメント、セキュリティといった面からもクラウドの仕組みを理解していることが必要不可欠です。
近年、飲料メーカーや動画配信サービス会社がランサムウェアの被害にあって操業停止に追い込まれるなど、セキュリティは事業運営に影響が及びかねない重要な課題になりました。こうした社会情勢も鑑みて、今年は経済産業省/IPA(独立行政法人情報処理推進機構)の資格制度である「情報セキュリティマネジメント(SG)」も取得しました。
IT業界で30年、多様な実務を担当してきた経験から相当の知見と能力は有しているつもりではいましたが、情報セキュリティマネジメントに関する自身の知識と能力を確認する意味もあります。
また、IoTのシステム分野で電源が課題になることもあり、ブルーカラーの業務領域との融合も考慮して、「第二種電気工事士」 も取得しています。第二種電気工事士は、自宅のDIYでも持っていると便利な資格です。自宅であっても免状を持っていないと、コンセントの工事などをすることができないからです。
電気工事士は独占業務でありながら人手不足であるとともに、電気・エネルギーについては大きな社会的課題であり、今後大きな変革が起こることも想定して、蓄電・発電分野について勉強する意味もあって取得しました。
資格制度には情報空間を体系的に俯瞰する効果もあり、曖昧に把握していた仕様を確認したり、体系的に理解を深める上で有効な機会として活用しています。
資格そのものが目的ではなく、社会や顧客とのつながりにおける一つの型となること、相乗効果を増幅する触媒となることを意図しています。新規事業開発においても個人の能力開発においても、横断的に異なる分野を掛け算することが有効だと言われています。わたしの場合は、以下の3つの資格に、ITエンジニアとしてのスキル、AI活用能力を掛け合わせることで、より高い価値を顧客に提供することが出来ると考えています。
AWS × 情報セキュリティマネジメント × 電気工事士
特に我が社が得意としてきた、
1)製造業・建設業向けシステム開発
2)デジタル技術を使ったものづくり
3)コンテンツのデジタル化によるアプリ・グッズ
といったビット(情報)とアトム(物質)を統合する分野において、効果を発揮するものです。
ITエンジニアは、いわばノーカラーなわけですが、ホワイトカラーのマネジメント業務もブルーカラーの身体的業務も統合的に扱えれば、より優れた価値を提供できることになります。
再び、手に職の時代へ
現代人はこれだけ飽食の時代に生きていながら、「食いっぱぐれる」ことを恐れています。
昭和の時代に「手に職」をつけろと言われていた動機のほとんども、食いっぱぐれないためのものでした。昭和から平成、令和と続いた学歴信仰も、資格取得に安心と安定を求める人も、「食いっぱぐれる」ことを恐れる気持ちが大きいでしょう。
一方で西岡常一は宮大工に専念しており、一般の建築工事を一切行いませんでした。住宅建築も請け負っていれば、金銭的には裕福な生活をおくれていたはずですが、清貧を貫いたようです。
農作物を自給し、基本的な生活を自ら営むことで、「食いっぱぐれる」ことを恐れず、「お金のために魂を売る」ようなこともなかったのです。
木のいのちは、千年のいのち。人のいのちは、百年のいのち。
されど、百年のいのちで千年の木を生かすのが、大工の仕事や。
西岡さんが語ったこの言葉は、現代のわたしたちに仕事というものの価値観を根源から問い直しています。果たしてわたしたちは、宮大工が抱いているような気概と誇り、信念を持って仕事に向きあっているでしょうか?
本来、日本人は多かれ少なかれ、伝統的にこうした仕事観を持っていたはずです。良い仕事をしよう、顧客に喜んでもらおう、美しい作品を後世に残そう、という損得を超えた純粋な想いを持っていたものです。
ところがいまや、上場企業の経営者は四半期決算で数字を操作することに躍起になり、中間管理職は今月の売上や経費削減の目標を達成することに追われています。
現場の会社員も給料が増えることもなく、負担ばかり増えていく中、疲弊しながらルールやノルマに拘束されています。株主は株主で、高値で売り抜けるか高い配当を要求することばかり考えています。
学者は研究資金を獲得するため、お金になる研究を優先せざるを得なくなっています。メディアは広告を得るため、真実には目をつぶり、口を閉ざしてしまいました。政治家もキックバックと利権の発生しない仕事はしなくなり、官僚も天下り先に関係のない政策には見向きもしません。
社会全体が倫理や良心を犠牲にすることに麻痺していき、本質的な価値を考える機会が失われたまま、思考停止しています。知らず知らずのうちに無国籍金融資本へ魂を売ってしまっているのです。
清貧の暮らしは決して楽なものではなかったと思いますが、西岡さんは宮大工の仕事に誇りをもち、自給自足の生活を志向することで、カネに魂を売らずに千年という時を考えて建築に向き合うことができたのです。
手を動かそう
わたしたちも、西岡さんほどの深い思考と徹底した実践は出来なくても、今までより少し長い時間軸と広い視野を考えて働きたいものです。自給自足的な志向性を持ち、何ごとも自分の手を動かして体感を伴う仕事をすることが、初めの一歩となるはずです。
1996年に我が社を起業したとき、稚拙ながらも自ら手を動かして制作したロゴマークは、手をモチーフとしたものでした。IT で社会をより良いものにしていきたいという想いとともに自然やアナログの良さ、手に宿る知性を大切にしたいと考えていたからです。

いま、デジタルの力が強大になるにつれ、あらためてその想いを強くしています。
本稿の最後にホンダの創業者である本田宗一郎氏のエピソードの中から、わたしが特に好きな話を紹介します。
彼は本田技研工業の設立から25年率いたホンダの経営を引退するにあたって、全国各地の工場や販売店、関連会社、全従業員に感謝したいといって全国を巡回しました。(ここだけでも、昨今の上場企業経営者に100回くらい聞かせたい話です)。
ある日、本田さんが訪れた工場で、握手を求められた整備工が慌てて油で汚れた手を洗いに行こうとしました。しかし、本田さんは、「そのままで良い、俺はこういう手が好きなんだ」と言って握手したそうです。
いまや、自動車メーカーに勤めている企業人の大半は油で手が汚れることもありません。電機メーカーで言えばハンダ付けさえしたこともない、パソコンに向かって仕事している人ばかりでしょう。
住宅メーカーでありながらノコギリを使ったこともない、食品に関わる企業でありながら植物の苗を植えたこともない、現代人は手を使った体験が圧倒的に不足しているのです。
自分の扱っている製品が、そもそもどうやって作られたのか。物質が製品の形になるまで、どれだけの人の手を経ているのか。手触りの実感を持って知ることが重要です。
金、効率、形式が支配する社会は、すでに限界を迎えています。わたしたちはもう一度、人間の側に立って仕事を再設計しなければなりません。 手を動かし、身体のなかに眠っていた智恵を目覚めさせ、長い時間軸の中で誇りを持った仕事を重ねていく──。「手に宿る知性」が、AI時代にふさわしい働き方の未来を切り開いてくれるはずです。
関連情報
暗黙知の次元
マンチェスター大学で教授を務める科学者であったマイケル・ポランニーは1935年、ソ連時代の科学アカデミーを訪れた際、科学者が政府の計画に従うように抑圧されている状況を目の当たりにして衝撃を受けます。当時のソ連では、科学が国家の目的に奉仕する道具として見なされ、真理の探求という本来の目的が毀損されていました。
科学を客観的な事実の集積や機械論的な世界観の産物と捉える科学観が、科学の自由や価値を破壊する論理的根拠になりうる危険性に驚愕したようです。彼はこの経験の後、「科学の自由」と「純粋な科学的探求の価値」を擁護する活動に献身するようになり、知識論や科学哲学の基礎を築いたとされています。
言語化できない、文書化できない個人の持つ知能について研究を続け、「個人的知識( Personal Knowledge」「暗黙知の次元(The Tacit Dimension)」などの著作を残しました。暗黙知の次元は、形式化できない知性の構造について、深く掘り下げた書です。
現代でも学歴エリートの多くが、学問の呪縛(=論文と記録にのみ依拠した思考)に捕らわれています。彼らは、暗黙知の次元を無視するか、謙虚さを失った酷いものにいたっては人間の直観や感性を蔑視さえしています。
いったい人類は何世紀になれば、学問の呪縛と腐敗を卒業出来るのでしょうか。21世紀にもなって、ワクチン問題では真実を追究していた多くの科学者が製薬企業と政府に抑圧されました。しかも自由の国アメリカで、科学が権威主義化するとともに無国籍金融資本の全体主義と癒着して盛大な科学の腐敗が起きていたわけです。
別の記事でも紹介したように、ワクチン問題でLinkedinをバンされたワクチン研究者のギアート・バンデン・ボッシュ博士がVoice for Science and solidarityという団体を立ち上げて、この問題に取り組んでおられます。
学問と宗教、政治と官僚を暴走させないためには、わたしたち一人一人が情報リテラシーを鍛え、身体的な感性と技能を磨き、哲学と人生観を確立することが重要です。分野は違えと、宮大工の生き様が手本になることでしょう。
西岡常一
西岡常一さんは、1300年の歴史を持つ伝統的な宮大工の技術と精神を体現し、法隆寺や薬師寺といった日本を代表する寺社建築の再建・修理にその生涯を捧げた名工です。現代の建築基準や法規、文化や学術界とのせめぎ合いの中、伝統を貫く姿勢から「法隆寺の鬼」、「最後の宮大工」とも称されています。
西岡さんと対立した学者の方が懸念されていたように、西岡さんほどの名工が生まれ、存続していける社会環境は失われつつあります。「木のいのち 木のこころ」では、弟子の小川三夫さん、孫弟子の方々の話もあり、口伝や弟子に当てた手紙などから、暗黙知がどのように伝えられてきたか、その一端を垣間見ることができます。宮大工の伝統が守られていくことを願わずにはいられません。
関連記事
思考と行動、論理と感性、アナログとデジタルといった対極の概念を統合していくことが本ブログのテーマでもあります。以下はデジタル技術をより本質的に活用する上で、おさえておきたいポイントについて考察した記事です。
デジタル技術を活用する上でのIT人材戦略についても、考察してきました。
情報リテラシーについては、以下の記事も参考まで。
自然や伝統については、以下の記事でも考察しています。
30年前、エンウィットの創立時にかかげた我が社の経営理念です。
ロゴと社名に込めたコンセプトです。







